アルメニア神話に見る英雄譚とキリスト教

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 神は人々の堕落を見て人間を造ったことを後悔し、彼らを滅ぼそうとし大洪水を起こし
た。しかし神はその前に、正しく生きたノアに方舟を作らせ、彼の家族や周りの動物だけ
を生き延びさせるように仕向けた。彼らの乗った方舟は大洪水を耐え、東方のアララト山
に到着し、彼らが新しく人類の祖先となった(ノアの方舟)。

 その後世界で繁栄した人類は、再び散り散りにならないように天まで届く塔を建てよう
としたが、神の逆鱗に触れてしまい、神は彼らの言葉を乱し、彼らを世界中に散らした。
そうして人類は争いを始めるようになる(バベルの塔)。

 ノアの玄孫ハイクは、ハイ族の長で、巨きく勇敢な戦士であった。ハイ族の先祖たちは
アララト山から遠くない温暖なバビロニアに移り住んでいたが、ここでは多くの民族が闘
いに明け暮れており、人々の心は荒んでいた。ハイクはハイ族の民たちとここを脱出すべ
く、父祖の地アララト山に近い深い森に移住しようと考えた。この新天地こそアルメニア
の地であった。しかしこの脱出計画は、バビロニアで圧政をしいていた彼の地の王ベルの
怒りを買い、ハイクたちが移ったアルメニアはベルの強大な軍隊に追い詰められることと
なる。そしてとうとうハイクとベルの一騎打ちとなった。ベルは後で来る加勢の軍を待つ
べくここで一時退却し、その後ハイクを一気に仕留めようと考えた。

 ハイクはその一瞬のすきを見逃さず、遠くから得意の弓を放った。弓は大きな弧を描い
てベルを鎧ごと射抜き、ベルは一瞬にして斃れた。主を失ったベルの軍勢は散り散りとな
り、ハイクはついにバビロニアの軍勢をこの新天地から追い払ったのだ。この地をしっか
りと手に入れたハイクはここに「ハイカシェーン」という町を作った。「ハイクの町」と
いう意味のこの町は、後に「ハイクの国」という意味の「ハヤスタン」と呼ばれるように
なった。今もアルメニア人たちは、アルメニアのことを「ハヤスタン」と呼んでいる(ア
ルメニア建国神話)。

 今でこそヨーロッパとアジアの間の小国というイメージのアルメニアは、最近では隣国
との戦争でメディアを賑わわせているが、実は、世界最古の歴史書(ヘロドトスの『歴史
』)にその名が出てくるほど遥か昔、紀元前から存在する集団である。文明揺籃の地メソ
ポタミアの北方に住む彼らは、その地理的な特性から周辺の強大な帝国の支配を実に2千
年もの間、ずっと受け続けることになる。しかし、その間彼らは決して消えることはなか
った。民族の紐帯を重んじ、不撓不屈の精神でアルメニアの血と名、つまりアイデンティ
ティを守ったのだ。そして彼らの精神を支えているのがキリスト教である。実はアルメニ
アの王国は、ローマ帝国に先立つこと90年、西暦301年に世界で最初にキリスト教を国教
としたのだ。

 このアルメニアの建国神話は、小さい民族の神話によくある強大な外敵と戦う英雄への
誇りと、その英雄の系図を、アルメニア人にとっての霊峰アララト山を媒介に旧約聖書の
ノアに遡らせ、キリスト教徒としての誇りも同時に謳っているのが見事に分かる神話であ
る。

松井真之介(宮崎大学、フランス語教育)

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