伊勢海老を食べて神話を語ろう

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 私事ではあるが、2022年4月より宮崎大学に着任した。宮崎には旅行ですら来たことがなく、知っている人もいない。今まで全く馴染みがなく、自分とは関係がない場所だと思っていたが、ひょんなご縁でいきなり宮崎県人となったわけである。

 宮崎に初めて来た時、今まで当たり前だと思っていたものがないことに驚いた。例えば、新幹線がない。地下鉄がない。東急ハンズはあるが、LOFTもないのである。私にとって、ないないの連続の日々が始まった。

 そのような折、同僚の先生方にお昼を誘われ、大学から車でふらりと伊勢海老を食べに行った。大学の近くの海沿いには、季節がら伊勢海老を出すお店が連なっていた。そこで、伊勢海老と鮑のお造り、伊勢海老の天ぷら、伊勢海老の蒸し物、伊勢海老のお味噌汁と伊勢海老づくしを堪能した。そしてまた当然のようにお昼過ぎに大学に戻った我々なのである。

 ないないの連続かと思いきや、そこには都会では味わえない贅沢があった。伊勢海老料理だけではない。その海には、小さな島が浮かんでいるのだが、その島は陸地とも繋がっていて、鬼の洗濯岩という奇妙な造形美が広がっている。そこには小さな神社があり、境内には神社とは思えない小さなジャングルがある。なんとも不思議な場所である。昔の人たちも、ここを放っておけなかったのだろう。この青島には、兄弟である山幸彦と海幸彦の神話が残っている。神話の面白いところは、一つの「お話」で終わらないところである。その兄弟の母親である木花佐久夜比売(コノハナサクヤヒメ)、父親である邇邇芸命(ニニギノミコト)も宮崎の木花台や高千穂と繋がり、それぞれの神話がある。神々の住んでいたところは、今でも何も「ない」が、少しの隙間も埋めようとする現代から考えると贅沢なことである。

 「お話」の世界は、現在の私たちの世界と繋がっている。神話の世界は人間が生まれる前から、昔話や民話の世界も「むかしむかし」という誰も知らない頃から、受け継がれてきた。私たちはこれからも「お話」を次に繋いでいくことができるのだろうか。

小柴裕子(宮崎大学、日本語教育)

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